仏教研究  U








     歎異鈔聞書  (2)          吉水善譲  著
                             梶原誓園 校訂


                    (二)



 観無量寿経の発起序では、頻婆娑羅王の王子阿闍世が提婆達多の言葉を信じて父も母もとも

に座敷牢に入れて殺そうとした。

 この観経が成立したシナの時代には宮中が非常に乱れていて、ある王は子々孫々に至るまで、

王位を継ぐようなことはさせないと言ったほど、悲劇が繰り返されていた。それに対応して、社会状

態も同様であった。そこでこのような悲惨な苦しめる人々を真実なる宗教に導き入れるために、印

度で発生した父母殺生事件を持ち出したのである。それは悩み多き生活者が、真実なる宗教に

入る最もふさわしい契機を示すものである。すなわち、観経は悩みを救うという立場から本願の不

思議に入ることになるのである。 それは、宗教心理学の立場に立つゆえに、如何なる人も入り易

いのであって、この観経を座るとしてのお言葉が、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往

生をばとぐるなりと信じて念仏申さんと思ひたつ心のおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづ

けしめたまふなり」である。心理学的な説明的な色合いが濃厚である。

 歎異鈔の物語りをなされた時には、同じ弥陀の本願を信じながらも、各自が自分の意見を取り入れ

て本願を解釈しょうとしたために、同一の信仰に種々の異義が生じた。このような異義の混乱を防ぐ

ために歎異鈔の物語りが始められたのである。しかるに現代では逆に異見や異解の方を賛美するとい

うような、異路に陥っているようである。

 と言うのは、前記のように観無量寿経は、すべての人々を弥陀の本願に容易に導き入れんとする

契起であるから、親鸞さまが仰せられているとおり、観経には隠顕がある。隠顕があるというのは、

観経においては、自力の諸善を修しても極楽に生まれることが、むしろ強調せられた形になっている

のである。

 観経の最も真実な意味を解釈された善導大師は、観経を大無量寿経の精神から読み抜かれたのである。

玄義分に、たまたま韋提請を致して、我れいま安楽に往生せんと楽欲す。やや願はくば如来我れに

思惟を教えたまへ、我れに正受を教えたまへと請を致したことによって、娑婆の化主はその請に因る

が故に、すなわち広く浄土の要門を開き、安楽の能人は別意の弘願を顕彰す。

 広く浄土の要門を開くとは、弥陀の浄土を願うかなめの門を開いたということである。娑婆の化主

とは釈迦如来である。安楽の能人とは阿弥陀仏である。別意の弘願を顕彰すとは釈迦が説く要門とは

違った本願を阿弥陀仏が説かれたということである。その要門とはすなわちこの観経の定散の二門

これなり。要門の中に定善と散善との二つの門があると見るのである。定とは禅定であり、慮をやめ

て以て心をこらす、すなわち達磨大使の面壁九年のように、心の雑念をしずめて真実の悟りを開くた

めに専注することである。これを観法と言い、宗教的な思惟を意味する。この思惟は神秘的に神を感

ずるのではなく、真理自体の理念を思惟によって自覚しようとするのである。

 観無量寿経は宗教哲学の一つの極限を開いたものであって、それは学問として最も困難な形而上学

の本質をさえ意味しているのである。これをカント的に言えば純粋理性批判を意味する。定善は純粋

思惟によって宗教的理念を自覚しようとするものである。これに対して散善は、悪を廃して、もって

善を修することである。これは、カントの実践理性批判に該当するものである。

 この定善と散善との根源に、目的の王国としての美の世界が要請せられているのである。それゆえに、

観経を宗教哲学的に見れば、カントの純粋理性批判、実践理性批判および判断力批判の意味がはっき

りと自覚され体験されて、ようやく観経の入り口に達したというような、意味深く価値高い宗教生活

の理念を開顕しているのである。

 浄土真宗では、自力の行はつまらぬ、ただ念仏の一行で結構だと言う人々がいるが、聞き習いのお説教

をうのみにして口まねで自力の行はつまらぬなどと考えるのはもってのほかである。

 母親が秋の日の昼過ぎに洗濯物を干そうとして、雨が降るのか天気になるかとひとりごとを言った

ときに、三歳の子供が、「西が曇れば雨となる、東が曇れば晴れとなる」と。自力の行を実行したこ

との無い者が、自力はつまらぬなどと軽率に言うのは、この西も東もわからぬ子供の口真似のような

者である。懸命に自力の行をやってみて、そしていよいよできぬというどんずまりに、やっと他力本願

の有難さがわかってくるのである。印度、シナ、日本の祖師はみな最初に命がけで自力の行を励んだ

結果、他力の尊さを自覚された方々ばかりである。

 他力信心は、聖道の如何なる難行よりもむずかしい。大無量寿経下卷に、

 「それ衆生ありて斯の経に値う者は意の所願に随いて皆得度すべし。仏、弥勒に語り給わく、如来

の興世には値い難く見たてまつり難し。諸仏の経道は得難く聞き難し。菩薩の勝法は諸の波羅蜜にし

て、聞くことを得ること亦難し。善知識に遇いて法を聞きて能く行ずることこれ亦難しとなす。もし

斯の経を聞きて信楽受侍せんは難中の難、此の難に過ぎたるは無し。是の故に、我が法は是の如く作

し、是の如く説き、是の如く教う。かならず当に信順して如法に修行すべし」

と、他力の信心を得るのは如何なる困難よりも困難であると、はっきりと開顕せられているのである。

しかるに、如何なる悪人でも、ただ信ずるだけでお助けだとビックリ市の特売品のような安売りをせ

られているが、浄土真宗の他力のお易いというのはそのようなものではない。

 西方の極楽に、仏の国に、生れ往くというようなことは、とんでもない冒険を意味する。阿弥陀経

には、西方の極楽はこの世界を超えて十万億仏土を過ぎるぎればあると書いてある。それは釈尊の説

であるから間違いがないと言うが、釈尊は極楽を見て帰って説いたのであるか。釈尊は八十年しか生

きていなかった。二十億光年の過去から光りを放った星がいま地球の天文台で見付かっている故に、

光りの速度でその星の世界に達するのでさえも二十億年を要する。その二十億光年は一仏土の三千大

千世界に比べると、十億分の一ぐらいにすぎない。それゆえ、釈尊が光りの速度で極楽を見て帰ると

なれば、阿弥陀が成仏して十劫が経過したという、その十劫よりも永い時間を経過せねばならぬこと

になる。

 このように論定すれば、西方十万億仏土ということは一つの夢物語りとなる。だから、それは理解

できないゆえに信じさえすればよいと逃げ込むのであるが、理性の力を持つ自覚人は、そのような甘

い手にはひっかからないのである。

 現代の宇宙飛行は、いまようやくその第一歩が開かれた。生物が人類にまで進化するのに二十億年

を要した。その二十億年の文化への努力の結果が、やっと宇宙飛行になり初めたくらいである。この

点から見ると、宗教の価値は、お互の人間の能力で安直に考えるような、ビックリ市の特売品の取引

とは違うのである。


    (未完)



















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